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2026年01月13日 (火)
紀尾井町 音楽さんぽ 第3回「大向こうでも紀尾井町」
今回は、紀尾井の「井」となる、近江彦根藩井伊家の敷地にまつわるお話です。
井伊家は徳川譜代の大大名として江戸城桜田堀に面したところに上屋敷があり、日本製鉄紀尾井ホール正面口の向かい側、現在のホテルニューオータニの敷地一帯が中屋敷となっていました。明治になり、この敷地は皇族の伏見宮邸として生まれ変わり、昭和20年ごろまで宮邸として使われます。その後、実業家の大谷米太郎がこの地に日本を代表するホテルを建設し、現在に至ります。ところで、この敷地の東側に伸びる紀尾井町通りは、現在ホテルに隣接する施設やレストラン、商業ビルが建ち並びますが、今から半世紀ほど前、この場所には日本の芸能界や音楽界に大きな足跡を残した方々の邸宅がありました。
その中の一つに、戦後の歌舞伎界を代表する名優にして人間国宝・文化勲章受章者の二代目尾上松緑(大正2年―平成元年)のお住まいがありました。歌舞伎観劇の醍醐味のひとつに大向こうのかけ声がありますが、二代目の場合は「紀尾井町!」や「弁慶橋!」という声がかかるほど、この町と深いご縁がありました。紀尾井坂を下った交差点の近く、現在RINKIN紀尾井町第1ビルが建つこの場所に、昭和29年ごろから平成元年ごろまで居を構えていました。邸内は和館と庭側の斜面の上に東屋を配した造りで、当時は門の前に幅3メートルほどの小川が流れ、小橋を渡ってから邸内に入るようになっていたとのことです。自邸の裏手でホテルニューオータニの建設が始まった昭和38年、二代目はNHK大河ドラマ第1作目となる「花の生涯」に出演し、主役の井伊直弼役を演じます。井伊家の中屋敷跡に自身の住まいを構えていたことは偶然とはいえ、とても興味深いエピソードです。
また、この二代目邸の数軒先には童謡の“うたのおばさん”として多くの人々に親しまれた声楽家の松田トシ(大正4年―平成23年)邸がありました。戦前から歌手として活躍する一方で数多くの有名歌手を育てた名教師でもあり、母校・東京藝術大学声楽科の成績優秀者に贈られる「松田トシ賞」に、その名を残しています。さらに、二代目邸と松田邸の間には、新派の大看板として演劇界に重きをなした、初代水谷八重子(明治38年―昭和54年)の御宅もありました。
日本家屋が建ち並び、閑静な趣を醸し出していた紀尾井町通りも、昭和50年代ごろからは再開発が本格化しました。町の様子は大さく様変わりしましたが、この町の魅力は昔も今も変わりありません。江戸の昔から今日まで、数多くの名士たちが集い暮らしていたことに思いをはせ、紀尾井町内を散策してみてはいかかでしょうか。
[取材協力]鈴木研司様、戸田豊重様、戸田道代様(50音順)


*本記事は、紀尾井だより149号(2021年9月1日発行)に掲載した記事を再構成したものです。