藤本昭子さん(地歌・箏曲)
―あなたには歌がある。その言葉を今も糧に。

旬の演奏家にご登場いただき、その人柄や邦楽との出会い、邦楽の醍醐味などをお聞きする新シリーズ。第二回は地歌・箏曲の藤本昭子さんです。

 

藤本昭子

―――昭子さんは箏曲の家にお生まれになり、お母さまのお腹にいるときから箏、三弦(三味線)を聴いておられたのですね。

はい。母から胎教を受けておりました(笑)。
お稽古は3歳の時お箏から始めました。祖母や母がソクイ(ご飯を練ってノリにしたもの)で、子供用の赤い小さなお爪を作ってくれました。三弦は子供にはかなり重たい楽器を膝に乗せて弾きますので、そのずっとあと、8歳からでした。

―――地歌や箏曲の道を目指す一般の人から見ると羨ましい限りですが、普通の子のように好きなことができないと反発をお感じになったことは?

どうしてこんな家に生まれたんだろうとは思っていました(笑)。
学校から帰ってくると見つかる前にそーっとランドセルを置いてそのまま遊びに行ったり…。
祖母は芸に対して真正面から向かう人でした。お稽古はとても厳しくて、お箏をひっくり返されたこともありました。歌は舞台で歌うと同じく、朗々と歌ってくれて「こういう風に歌うんだよ!」と熱血稽古でした。
母は祖母と少し違って、ひと節ずつ丁寧に繰り返し教えてくれましたが、あまり出来ないと「あとは自分でおやりなさい」と言って突き放されました。二人に厳しい稽古をつけてもらったから今の私があると思っています。

―――この道で生きていこうと思ったきっかけは?

舞台で数々の失敗がありましたが、30代になって、本気のやる気が出なければ本物にはなれない、舞台で縮み上がる怖さを実感して初めて気づくことが出来ました。
それから10年間、母にしがみついて教えを請いました。母は褒めることをしない人でしたが、亡くなる直前に、「これからはあなたの力になれなくてごめんね。でも安心なさい。あなたには歌がある。こんな大きな大輪の花が咲くから」とベッドの上で手を大きく広げて言ってくれました。涙があふれました。その言葉を今も糧にしています。

―――地歌ってどんなものでしょう。初心者に話すとしたら?

歌、三弦、箏のすべてを修得することが必要でとても時間のかかる芸ですが、歌は節回しの一つ一つに深い味わいがあり、豊かな江戸の文化が感じられる詞章も魅力にあふれています。「さわり」(一の糸(低弦)が、二の糸と三の糸と響き合い、ずっとうなっている状態)の効いた三弦を独りで弾き歌う、地歌ならではの醍醐味がここにあるように思います。

―――長きにわたり「藤本昭子 地歌ライブ」を開催しておられますね。

演奏の機会はそう多くはありません。ならば自分で演奏の場を作って活動していこうと覚悟を決めて始めたのが「地歌ライブ」で、今年で17年になります。初めのころはもう必死で、お客さまの応援でなんとか乗り切るような状態でした。でも回を重ね、度胸と自信がつくと余裕が出てきて演奏が面白くなる。すると「もう一度聴きたい」とお客さまが言ってくださるようになってきました。2020年オリンピックイヤーの100回をゴールに続けていきます。

―――最後に、地歌のアピールをぜひ一言

とにかく「古典地歌の生の演奏に触れていただきたい」と願っています。騙されたと思って(笑)、ぜひ一度聴きにいらしてください!三弦は弦楽器ですが打楽器でもあるんです。うなって鳴る三弦の魅力と、滋味溢れる歌をお届けします。

藤本昭子(ふじもとあきこ)
大阪出身。幼少より祖母阿部桂子、母藤井久仁江(人間国宝)に箏と三弦の手ほどきを受ける。4歳で初舞台。2001年、現代における伝統音楽の継承と古典の新たな可能性を追求する場として「地歌ライブ」を開始、これまでに90曲以上の古典曲を演奏。九州系地歌箏曲演奏家として演奏会・放送、海外公演等に出演の他、後進の指導に当たっている。Official Facebook

※地歌・箏曲
江戸時代に上方(京都や大阪)で、その多くが盲人によって創作され、今日まで継承されてきた三味線を弾き歌う「地歌」と箏を弾き歌う「箏曲」の総称。

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