川瀬露秋さん(地歌箏曲・胡弓演奏家)
「心音(こころね)を大切に、先生の音色に少しでも近づきたい。」

このコーナーでは、旬の演奏家にご登場いただき、その人となり、邦楽との出会い、魅力などをお聞きしていきます。
第8回は地歌箏曲・胡弓演奏家の川瀬露秋さんです。

 

川瀬露秋

―――地歌箏曲のみならず、胡弓演奏家としてもご活躍ですが、地歌との出合いは?

 母がお茶、お花、日本舞踊をはじめとした日本の伝統文化が好きで、家にお箏もありました。それを見て自分もやってみたいと言ったのが始まりでした。7歳の時です。一年後にはお三味線も習い始めました。とにかく楽しくて仕方ありませんでした。

―――その後15歳で川瀬白秋先生のもとで修業するため上京されたのですね。

 弟二人が尺八を習っており、ある時地元久留米で九州系地歌の会があって、たまたま川瀬順輔先生(琴古流尺八の第一人者)がお越しでした。当時中二だった私と弟二人でお箏、尺八の演奏をしましたところ、先生から「将来何をしたいの?」と聞かれ「お箏の先生になりたいです」とお答えしたのをきっかけに、九州系地歌ならぜひ東京で修業なさいと言っていただいたのです。それがなんと、先生の義姉 川瀬白秋先生の内弟子!でした。

―――内弟子とはどのようなことを?

 白秋先生の家に住み込み、先生の付き人として毎日のように歌舞伎座や踊りの会に通いました。歌舞伎の黒御簾では毎日同じことを見聞きするので自然に曲やお芝居を覚えられましたし、先生のお仕事に対する姿勢を間近で見られました。実は、上京するまで胡弓は見たこともなく、白秋先生の演奏を聴いて知り、びっくりしました。哀愁のある繊細な響き、弓さばきの美しさ、そして胡弓を弾く品格のあるお姿が鶴のようで格好よく、感動したのを覚えています。

―――故郷の久留米から遠く離れて淋しくはなかった?

 淋しいことは少しもありませんでした。白秋先生、旦那様には家族同然にしていただき、もちろん順輔先生ご夫妻にもかわいがっていただきました。何よりも白秋先生の傍で学べることがありがたかったです。「胡弓の音にはその人の生きざまが表れる」とは白秋先生の教えで、「心音を大切になさい。心が、顔や音に表れてしまうものです」と言われました。

―――白秋先生から学び、引き継がれていることとは?

 歌舞伎音楽、踊りの地方などの先生のお仕事は広く深いものでした。たとえば胡弓のほんの短い調べが歌舞伎の一場面をより情緒豊かに盛り上げるという、縁の下の力持ちとしての役割を知りましたし、舞台で役者さんが演奏する箏や胡弓、地歌の指導というお仕事もありました。その一方、新作にも意欲的に取り組み、現場で次々と曲想を創られる姿が本当にかっこいいと思いました。私も後を引き継いで先生の音色に少しでも近づけるように一所懸命やっていきます。

―――最後に胡弓の魅力を。

 胡弓は和楽器の唯一の擦弦楽器*1ですが、棹を廻すことで弾く弦を変えていく、実はとても難しい楽器です。今は演奏する人が減ってしまったのが残念です。だからこそ胡弓の素晴らしさを伝えていきたいです。お薦めは、『籠釣瓶』*2の「縁切」の場。本当は好きなのに故あって男に愛想尽かしをしなくてはならない遊女の場面。胡弓の調べが哀愁を帯び、切なさを盛り上げます。ぜひ聴いてみてください。

*1:弦を弓で擦って音を出す楽器
*2:「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」の略。地方の商人が都会の遊女に溺れ破滅してしまう歌舞伎 世話物(江戸時代の市井の話題や風俗を扱う)の一つ。

川瀬露秋

川瀬露秋(かわせろしゅう)
久留米市生まれ。15歳より生田流筝曲白秋会家元、川瀬白秋の内弟子として箏、三絃、胡弓を学ぶ。2015年日本文化藝術財団「創造する伝統賞」、2016年第20回日本伝統文化振興財団賞受賞。現在九州系地歌を藤井泰和に師事、三曲界、歌舞伎音楽、舞踊の地方の演奏にあたる。日本三曲協会理事、生田流協会理事、白秋会代表。

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