杵屋巳津也さん(長唄・唄方)
「美しい日本の言葉で唄われる長唄にぜひ耳を傾けて」

このコーナーでは、旬の演奏家にご登場いただき、その人となり、邦楽との出会い、魅力などをお聞きしていきます。
第7回は長唄 唄方の杵屋巳津也さんです。

 

杵屋巳津也

―――長唄を始められたきっかけは。

 父(俳優の山口崇さん)が淡路島出身で、祖母が生田流箏曲をたしなんでおり、人形浄瑠璃が盛んな地域だったこともあり、父自身も若いころから三味線に親しんでいたようです。父は上京して先代の七世杵屋巳太郎氏(現 杵屋淨貢氏)に師事し、杵屋巳楓のお名前も頂いています。また、母や姉も杵巳会の名取ということもあり、家ではいつも長唄が流れていました。
 父とお風呂に入るといつも供奴(歌舞伎舞踊。派手な曲想の長唄の代表曲)を一緒に唄わされました (笑)。でも私、高校まで長唄は全くやっていなかったんです。音楽は大好きで、小学校では合唱、中学高校ではロックバンドでボーカルに没頭。長唄の「な」の字も知らないまま。ただ、両親も姉も長唄をやっておりましたので演奏会には無理やり連れられ…。嫌で嫌でたまらなかったです(笑)。それが高校の時、姉が藝大の邦楽科に長唄三味線で入学したのです。「えっ?」と、初めて「そんな道」があるのか!と意識しました。17歳にして芸の道に目覚めます。長唄をやってみたいと父に打ち明けたところ、お前ごときが何を!とは申せ、息子が本気で長唄を目指してくれるか!と喜んでくれました。家元(七世杵屋巳太郎氏)を訪ね、唄は福田克也先生に師事し、無事に藝大で学ぶことができました。

―――17歳から始めてプロになるというは凄いことでは?

 例えば、ピアノやヴァイオリンなどの楽器の場合は17歳から志して、プロになれるのかどうかは分かりませんが、唄は、特に邦楽の唄は普段とは違う特殊な喉の使い方をします。だから声が落ち着いてからでも遅くないと思います。特に男子は変声期がありますので、これを経てからでも十分ではないかと。私の場合は子供のころから合唱や、バンドで好きなように歌ってきたので、長唄の修行を始めて、まるで違う喉の使い方に慣れるのには苦労しました。気を抜くと地声が出てしまって…。でも繰り返し稽古しているうちに体に入ってきて、唄にインスパイアされて普段話す声も変わってきたようです。

―――藝大での学生生活はいかがでした?

 藝大にいると、皆がその道を目指している同年代が集まっていますから、おのずと目標も定まっていきました。しかも、長唄は歌舞伎や舞踊会などへの出演など演奏機会が多く、恵まれていたと思います。学生時代から声をかけてもらい、プロの舞台に乗せていただき、経験を積むことができました。学生時代にアルバイトやインターンをした会社にそのまま就職するような感覚でしょうか。

―――長唄のここを絶対聴いてほしい、長唄の「肝」はどんなところでしょう。

 長唄は元々歌舞伎舞踊の伴奏音楽であり、お能、箏曲、狂言、浄瑠璃などからさまざまな要素を一番取り入れて現代に息づいている複合的な音楽なので華やかです。近代的な要素も取り入れ、ダイナミックなものから古典的なしっとりしたものまでバリエーションも実に多い。そして何よりも美しい日本の言葉が唄われています。ぜひ耳を傾けていただければ嬉しいです。そして物語がお客さまに届くといいなと思います。

杵屋巳津也

杵屋巳津也(きねやみつや)
1967年東京都生まれ。人間国宝七世杵屋巳太郎、東音福田克也に師事。1990年東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。演奏会、舞踊会、歌舞伎公演等、さまざまな舞台に出演、海外公演も多数。2004年中村勘九郎名跡最後の舞踊公演立唄を務める。長唄白風会主宰。長唄協会演奏委員、長唄東音会同人。国立劇場養成課講師。

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