稀音家祐介さん(長唄三味線)
タテ三味線とワキ三味線、唄にお囃子は指揮者とオーケストラの関係性に似ている。

このコーナーでは、旬の演奏家にご登場いただき、その人となり、邦楽との出会い、魅力などをお聞きしていきます。
第1回は長唄・三味線の稀音家祐介さんです

 

稀音家祐介

―――三味線と出会ったきっかけは?

まだ小学校に上がる前、一人っ子だった私は長唄三味線が好きな母の稽古に一緒に連れて行ってもらっていました。幼心に強烈な印象に残っている映像があるんです。それは稽古をつけていらっしゃる先生の右手。お姿は見えないのですが、撥を使うその手がまことに美しいものに見えた。それが最初の出会いですね。そして先生のおさらい会で「坊やも弾いて御覧なさい。」と言われてやってみたら上手にできちゃった。皆さんほめてくださる。「坊やうまいわね」って。なんか嬉しいでしょ。それで図に乗っちゃったわけです。

―――邦楽界には二世、三世も大勢いらっしゃる中で、そうではないことのご苦労はありましたか?

若い時分は大変でした。大学を出てちょっと上の先輩、同輩が着物を着て舞台に立ったころ、私はまだ師匠のカバン持ちで、どこに行っても「あの子は誰?」と相手にされなかった時代がありました。でも腐らずにやってこられたのは、師匠(稀音家六節治先生)の檄があったから。「本当に三味線が上手ければ世の中通用するはず。芸ができることが一番大切。愚痴を言う前に腕を鍛えよ」と。

―――「稀音家祐介」を拵えてきた信念はどんなことでしょう。

駆け出しのころ、今藤長十郎先生から「稽古にうかがう先生によってご指導が正反対だったりする。もっと唄を聴いて三味線を弾けと言われる一方で、唄に付き合ってグダグダ弾くんじゃないと言われる。一体どうしたら良いのか?身の細る思いをし、冷や汗をかき、悩み、考え続ける、そうした苦労の中から『稀音家祐介』の芸ができてくるんだよ。」と言われたのです。この言葉は本当にありがたかったと思います。
私は幼いころから、作品を音楽として再現する「演奏」そのものに強く惹かれて演奏家になりました。いつもどう演奏すべきか企図して臨んできましたが、勉強・経験を重ね、年齢を経るごとにそれがはっきりしてきました。今は企図の達成度を高めること、これが信念と言えますね。

―――最後に、長唄の魅力をご紹介いただけますか。

長唄は古典の中では新しい音楽なので、それ以前のさまざまな音楽を吸収したことからお囃子が入ったり、舞踊、語物など、バラエティに富む曲調があることが魅力です。大筋では、タテ三味線(三味線のトップ奏者)が演奏を主導的に引っ張るのですが、部分的には唄や囃子が、時にはワキ三味線がその 役割を果たします。「生かすも殺すもワキ次第」。三味線にはこんな言葉もあります。ワキ三味線の重要性を表していて、優れたワキが居れば、タテはそれに気持ちよく乗っかっていける。そんなところが指揮者とオーケストラの関係性とも似ていると思います。クラシックファンの方にそういうことにも注目して聴いていただけたらと思います。

稀音家祐介

稀音家祐介(きねやゆうすけ)
昭和三十二年東京都生まれ。五歳で稀音家六節治に入門。その後八世稀音家三郎助、稀音家六多郎、初世日吉小三八に師事。同五十五年東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。平成十四年より四代目市川猿之助の歌舞伎公演等のタテ三味線をつとめる。現在演奏会、舞踊会、歌舞伎、海外公演等で活躍。

邦楽を究めるTopに戻る