善養寺惠介さん(尺八)
「尺八のお手本は《自然》なんです」

このコーナーでは、旬の演奏家にご登場いただき、その人となり、邦楽との出会い、魅力などをお聞きしていきます。
第5回は尺八奏者の善養寺惠介さんです。

 

善養寺惠介

―――お父さまの手ほどきで6歳から尺八を始められたとうかがっています。

私の兄(3歳上)は3つの時から尺八を持たされ、父の激しいスパルタ教育に晒されて(!)いました。それを見ていた私は尺八だけは絶対に吹かない! と子供心に誓っていたんです…。なのに、ある日ちょこっと音が出たところ、父に「お前、いけるな!」とおだてられ、まんまとこの世界に引きずり込まれてしまいました(笑)

―――お父さまが尺八を嗜まれたきっかけは。

当時父の兄(伯父)が安岡正篤が開いた日本農士学校に通っており、父はその兄に届け物をした折に、たまたま講義前に特別に企画された尺八家神如道の演奏を聴いて強い衝撃を受けてしまい、以来東洋思想、哲学から禅、普化宗・虚無僧尺八に傾倒していったようです。父にとって尺八は禅修行(=吹禅)であり、悟道・悟りへの道。父の本職は鳶職人ですが、きっと子どもには、音楽というより東洋思想としての尺八を叩き込まなくてはいけないという使命感があったのだと思います。

―――そんな中で職業として尺八演奏家を選ばれたのにはどんな経緯があったのでしょう。

私は小学校3年からは父の兄弟子、岡崎自修先生について学んでいました。中学を卒業するころ父がなんと、高校に行く必要はない。食べていけるように鳶職と土方仕事は教えてやるから虚無僧になれ!と言い出したのです。もうめちゃくちゃです(笑)。岡崎先生は尺八を芸術音楽として捉えている方でしたから父と大議論の末、高校には「行っておこうや」と進学。卒業後数年間は父の元で鳶職の修行でしたが、その時に貯めたお金で父の反対を押し切って東京藝術大学に進学、音楽芸術としての尺八の道を探すことになりました。

―――藝大にお入りになってからは?

最初の1年は横山勝也先生に、2年から4年まで山口五郎先生に教えていただきました。ただひたすら尺八本曲だけしか稽古してこなかったものですから、大学に入って「人生終わったな」と思いました。三曲など上手い人ばっかりで到底敵わない。難しくて全く勝ち目がないわけです。でも自分は本曲しかないのだから、本芸はこれで頑張るしかないと。ですから数少ない三曲との共演の機会があればお箏・三絃の方が心地よく演奏できるよう、こちらが合図や間合いを出すにしても決して出しゃばらない脇役に徹しました。その気配りは生活がかかっていますから必死です。

―――尺八の醍醐味とはどんなことでしょう。

尺八のお手本は「自然」なんです。墨絵で一本の線をすっと引いただけで、山川草木、花鳥風月の景色がさーっと立ち現れるのによく似ています。ですから自然の安らぎに身を委ねる気持ちで楽しんでいただければと思います。また生命のドラマもあります。鶴の巣籠」なら、鶴の親子の呼応する調べは、鶴の子育てから巣立ちまでの親子の情愛が暗示されています。そんなことを感じていただければ嬉しいです。

善養寺惠介

善養寺 惠介(ぜんようじけいすけ)
東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業、同大学院修士課程修了。1999年よりリサイタルを開催、これまで全13回を重ねる。2002年日本伝統文化振興財団賞受賞。古典を中心とした演奏活動のほか、関東各地にて尺八教授活動を行っている。NHK文化センター講師。㈱目白スタジオM講師。公式webサイト

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