新メンバー対談「人生を変えた一曲」~第2回/伊東 裕&日橋辰朗

誰にでも、自分の中の何かが変わるきっかけになった音楽があるのではないでしょうか。そんな一曲を肴に、紀尾井ホール室内管弦楽団の新しいメンバー二人が語り合う一夜。第2回は美味なる上海料理とともに―。(構成・文/宮本 明)

日橋 はじめまして、ではないけれど、二人で話すのは初めてですね。このオケに初めて参加したのはいつですか?

伊東 おととしのホーネックさんのR.シュトラウス《メタモルフォーゼン》でした。1パート1人の弦楽合奏で、オケとしてのまとまりも、個人のアンサンブルのレベルも高くて。いい経験でした。


リハーサルの様子。(撮影:三好英輔)



日橋 僕は3年前の100回定期で、ビシュコフの《ベト7》。読響(*読売日本交響楽団)で初めてエキストラで吹いた時も同じような感覚だったんだけど、こういうオケの中でホルンを吹けたら幸せだろうなと・・・。


第100回定期演奏会。(撮影:三好英輔)



えっ! お姉さん!?

伊東 読響といえば・・・実は最近、僕の姉が読響のヴァイオリンの川口尭史さんと結婚したんです。姉もヴァイオリンで、よく読響でトラで乗っています。

日橋 あ! ヴァイオリンの伊東さんがお姉さん!?そういえば似てる(笑)。よく言われる?

伊東 昔はすごく言われました。

日橋 姉弟ですごいね。ご両親が音楽家?

伊東 母がヴァイオリンをやっていました。でも僕は高校まで奈良の普通の高校に通っていたので、大学に入るまで、姉以外に音楽の仲間はほとんどいなかったんですよ。

日橋 僕は、子供の頃はずっと野球をやっていて、西武球場の応援団のトランペットがカッコいいと思って中学で吹奏楽を始めて。ずっと吹奏楽だったので、初めてオケで吹いたのは、大学2年生の頃に小澤征爾音楽塾で《カルメン》をやった時。

伊東  僕も音楽塾や奥志賀の小澤征爾国際室内楽アカデミーに参加したんですけど、全然世間知らずで。一度、リハーサルに雑誌の取材が入った時、僕だけ半ズボンにサンダルで弾いてるのを撮られて、あとで親に叱られました(笑)。

感動してたら、プロの洗礼・・・!

日橋 あはは。そんなわけで、僕はライオンズの応援歌だったら全部憶えてるんだけど(笑)、「人生を変えた一曲」は難しいなあ。そういう曲ある?

伊東 そうですね・・・。うーん。今までの人生で一番感動した曲が、聴いたのと弾いたのと1曲ずつあるので、それにします。聴いたほうは、小澤室内楽アカデミーのコンサートでのチャイコフスキーの《弦楽セレナーデ》。小澤さんが若い人たちのエネルギーを引き出して、本当にすごくて。生まれて初めてスタンディング・オベーションしました。普段はそんなこと恥ずかしくてできないんですけど、すごく涙が出てきて。

日橋 小澤さん、すごいね。

伊東 弾いたほうは、北九州で篠崎史紀さんがプロデュースされている「マイスター・アールト ×ライジングスター・オーケストラ」という、若手とプロ半々ぐらいの特別編成のオケで、4年前に弾いた《運命》。僕はクラシックに目覚めたのが遅かったので、それが初めての《運命》だったんですけど、めちゃくちゃ感動したんです。第3楽章から第4楽章に行くところとか。指揮者なしだったので、一体感もすごくて。ただ、自分は終わったあとも感動の余韻に浸っていたんですけど、やっぱりプロの方たちは違って・・・。

日橋 「お疲れでした!」って?(爆笑)

伊東 そうなんです。ああ、これがプロかと思って(笑)。人生を変えたというと大げさかもですが。

日橋 僕は大学4年生の時に日本管打楽器コンクールで1位になったんだけど、その本選で吹いたR.シュトラウスの《ホルン協奏曲第2番》。あれが分岐点だったかなあ。
実は、それまであまりホルンでご飯を食べていこうという感じじゃなかった。音大に入ったのも、学校の先生になって吹奏楽部の顧問をやろうと思ったから。
でもあのコンクールの時、第2楽章を自分で吹きながら、メロディの持っている力というのか、なんていい曲だろうと感じて。初めて、ホルンでやっていこうかなと思った瞬間でした。
だから今でも圧倒的に好きな曲だけど、その後何度か吹いても、あの時ほどの感動はないかも。やっぱり学生時代、しかもコンクールで、仕事じゃないからこその感じ方かもしれないね。「お疲れでした!」じゃなかったから(笑)。

伊東 (笑)




人物紹介表の定義