ヴァレア・サバドゥス&コンチェルト・ケルン

美声とエレガンス~サバドゥス待望の初来日 文・後藤菜穂子 (音楽ライター)
 ヴァレア・サバドゥスの声を初めて体験したのは2014年、ヴェルサイユ王立歌劇場で上演されたヴィンチのオペラ《アルタセルセ》であった。当時、バロック界で大いに話題になったカウンターテナー5人の競演によるプロダクションであり、すでに注目を浴びていたファジョーリ、チェンチッチのパワフルな歌唱にまじって、独自の優美でのびやかな声でセミーラという王女役を演じていたのが印象に残っている。
 
 そう、カウンターテナーとしてのサバドゥスの大きな特色はそのソプラノ音域のふわりと響くやわらかい美声なのだ。たとえば人気のファジョーリは超絶のアジリタと大ホールに響き渡る声量で、ジャルスキーは艶のある音色と独自の歌い回しで聴き手を熱狂させるが、サバドゥスの歌は軽やかで自然体で、舞台でもコンサートでも自己をことさら誇示することのない気品のある歌いぶりは好感がもてる。その印象は、ブダペストで聴いたエメーケ・バラート(ソプラノ)とイル・ポモ・ドーロとのデュオ・コンサートでも、パリ・オペラ座で観たカヴァッリのオペラ《エリオガバロ》でも裏付けられた。
 
 テクニックやカリスマ性よりも、純粋に声の美しさと表現力を掘り下げることを重視するサバドゥスのスタイルは、彼が17歳の時に初めてテレビで観てカウンターテナーという声のタイプを知るきっかけとなった、アンドレアス・ショルの影響も大きいのかもしれない。ショルもまた、圧倒的に声の美しさで人々を魅了する歌手だからである。ただショルのような聖歌隊系の声よりあでやかさがある。
 
 ルーマニア生まれ。幼くして父を亡くしたのち、5歳の時に母と兄とドイツに移住、主にバイエルン州で育った。母は音楽教師で、彼自身もピアノやヴァイオリンを学び、学校の合唱団で歌うなど音楽は好きだったが、十代半ばに声変わりした時にテノールでもバスでもない自分の声にとまどったと語る。そんな時にショルの声を聴いて、自分の声の可能性に目覚めたのだと言う。
 
 その後、ミュンヘンの音楽大学でソプラノ歌手のガブリエレ・フックスに師事(今回コンチェルト・ケルンを率いる平崎真弓とは同大時代の友人なのだそうだ)、バイエルン演劇アカデミーのオペラ学科でも学んだ。在学中より注目を浴び、弱冠24歳でマンハイム歌劇場のモーツァルト《皇帝ティトの慈悲》のセスト役に抜擢され、ブレイクにつながった。以来、オペラとコンサートの両方の分野で活躍しているが、本人はむしろ「コンサートのほうが自分らしさを出せる」とあるインタビューで語っている。
 
 サバドゥスにとって初来日となる今回のコンチェルト・ケルンとの共演では、ヘンデルの人気のアリアに加え、18世紀の名カストラート歌手ファリネッリのために書かれた隠れた名品がプログラムに並ぶ。ファリネッリはたしかに超絶技巧でも知られ、ジャコメッリやポルポラのアリアなどではそうしたテクニックが披露されるが、それと同時に、カルダーラのオラトリオ《アベルの死》の「私はその善き羊飼い」のようなしっとりとした情感で聴かせるレパートリーでのサバドゥスの優美な歌唱に注目いただきたいと思う。今やカウンターテナーの定番であるポルポラのアリア「至高のジョーヴェ」でも、きっと彼らしい繊細な表現で心に響く歌唱を聴かせてくれるにちがいない。

写真=Henning Ross