児玉竜一が綴る清元『須磨の写絵』の魅力

名曲はどうして名曲なのか?
人々を魅了し続けてきた傑作に注目する紀尾井の新シリーズ「紀尾井 たっぷり名曲」。
三味線音楽の名曲をじっくり味わう第5回は、清元「須磨の写絵」。須磨浦の汐汲女松風・村雨の姉妹と平安初期の歌人・在原行平のはかない恋を描いた能『松風』に基づく松風物舞踊の代表作です。
今回は、この清元の大作を通しで聴くことができる貴重な機会でもあります。
 
公演では、実演の前に児玉竜一(早稲田大学文学学術院教授)さんの親しみやすい語り口による演目解説があり、これも聴きどころのひとつです。
紀尾井だより2022年7・8月号(第154号)では、児玉さんに「須磨の写絵」の魅力をご紹介いただいていますが、「紀尾井だより」に載せきれなかった部分を含む完全版をこちらでご紹介します。

 
「たっぷり名曲」のシリーズに、今回は清元節の登場です。
 
 どなたもご存知の、隅から隅まで聞きどころの詰まった名曲としては、「かさね」などもありますが、構えの大きさといい、格調といい、時間の長さという点も含めて、清元の大曲をたっぷり味わうという点では、やはりこちらだろうということで、「今様須磨の写絵」を選ぶことにいたしました。上の巻と下の巻を通しての演奏は、なかなかない貴重な機会となります。
 
 通称は「須磨」、もしくは「須磨の写絵」。文化12年(1815)5月江戸の市村座で、「箱根霊験躄仇討(はこねれいげんいざりのあだうち)」の切(編注:浄瑠璃の一段を、口(くち)、中(なか)、切(きり)と三つに分けた、物語の山場の部分)に上演されたのが初演です。豊臣秀吉の家臣 飯沼三平の弟勝五郎が、足萎え車に引かれて登場、妻 初花の命がけの献身によって足も癒えて、敵 滝口上野を討つというのが「躄仇討」の物語。その秀吉(劇中では歌舞伎・浄瑠璃の慣行で「久吉」)の聚楽の御所における余興の今様という、いわば劇中劇のような趣向でした。

今様とは?

 今様というのは、直接には当世風という意味ですが、歌舞伎舞踊における今様というのは、何を当世風にするかというと、これは能を当世風に「くずす」、もしくは「やつす」ということを意味しました。したがって、「今様須磨の写絵」は、須磨を舞台とする能「松風」を、歌舞伎舞踊に移したものということになります。
 熊野・松風に米の飯、と俗にいわれるほど、広く知られた名作である能「松風」は、勅勘をうけて須磨に流された在原行平に、土地の海女の姉妹である松風と村雨が恋をする物語です。「汐汲」という古作の能をもとに改作して、観阿弥が作曲して、世阿弥が改修を加えたものと推測されています。

 

東錦絵末広五十三駅図会 古今名婦伝 須磨松風
国立国会図書館デジタルコレクションより
貴種流離

 中央から流された貴種(貴人)が、天ざかる鄙の地(編注:遠く離れた田舎)で無垢な乙女と恋をするというパターンは、王朝貴族の『源氏物語』から、はたまたイタリア系マフィアの「ゴッド・ファーザー」にいたるまで、洋の東西を問わぬひとつの王道ではあります。そこに三角関係を持ち込んで、しかもその恋を争うのが美しい姉妹という欲張った物語で、潮汲む桶に映る月の姿を「月は一つ、影は二つ」と、行平という月を慕う二人の姉妹になぞらえています。
 「須磨の写絵」は、この有名な「松風」を清元に移し、松風村雨姉妹の相手として、上の巻には行平、下の巻には松風に横恋慕する船頭 此兵衛を配しています。舞踊として上演する場合は、初演の三代目嵐三五郎以来、白塗りの貴公子行平と、赤っ面の敵役此兵衛を、一人の立役が演じ分けるところに妙味があります。

 

格調と変化の妙

 舞台となる須磨の浦は、光源氏が都から流されたことでも知られる地であり、また須磨・明石と並称される月の名所としても知られます。夕暮れ時に始まる物語は、やがて名高い月が美しく澄みわたる中で、鄙びた情趣の典型とされる汐汲みのわざを見せたのち、月光の下で展開してゆくことになります。
汐汲む海女のクドキ、三年にわたって都をはなれている行平の述懐、その行平と縁を結んだ美しい姉妹のクドキ、そして波立つ嫉妬。その嫉妬をやわらげて、三人が揃っての手踊りが、上の巻のクライマックスです。
 帰洛を許された行平が、姉妹に心を残しながら立ち去ったあと、下の巻では、その跡を慕ってゆこうとする姉妹の前に、此兵衛が立ちはだかります。行平の形見の装束を身につけた松風の狂乱という、能以来の狂乱物としての魅力。それを無理に口説く此兵衛のおかしみ。しかし、それでも行平をあきらめない松風に、とうとう此兵衛も「可愛さあまって、憎さが百倍」と、刀を抜いて切りつける此兵衛と、松風との立ち回りとなります。

 

能から歌舞伎舞踊へ

 能「松風」では、松風の狂乱から「破の舞」をみせて夢から醒めるのですが、歌舞伎舞踊は、むくつけき此兵衛と、美しい狂女との立ち回りを語って閉幕します。ラストに向けての、渾身の語りをご堪能ください。そして最後は、「村雨と聞きしも今朝見れば、松風ばかりや残るらん、松風ばかりや残るらん」と、ひとしきり降った村雨かと思えばそれもやんで、あとには浦を吹き抜ける松風の音だけが残っていたのでした、という、能「松風」とまったく同じ詞章で物語は閉じられてゆきます。
 能をやつして歌舞伎舞踊とする場合、その音楽は、能の格調高い枠組みを尊重しつつ、独自の艶めかしさをいかし、能を踏み越えた魅力を発見してきました。能では、姉妹の恋人は姿を現さないのですが、こちらでは、目の前に現れるだけでなく、横恋慕するもう一人の男まで現れるわけです。行平の高貴さと、位を失わぬ好色の美と、此兵衛の卑賤美ともいうべきエネルギーと、対照的な二人に挟まれて、松風村雨の美しさも際立つように仕組まれています。
 
大曲に相応しい格調と、変化に富んだ構成の妙を、お楽しみください。

 

児玉竜一●こだま・りゅういち 早稲田大学文学学術院教授
昭和四十二年兵庫県生まれ。早稲田大学大学院から、東京国立文化財研究所芸能部、日本女子大学などを経て、早稲田大学教授。演劇博物館の展示などにも携わり、平成二十五年から演劇博物館副館長。専門は歌舞伎研究と評論。編書に『能楽・文楽・歌舞伎』(教育芸術社、平成十四年)、共編著に『最新 歌舞伎大事典』(柏書房、平成二十四年)、図録『よみがえる帝国劇場展』(早稲田大学演劇博物館、平成十四年)など。「朝日新聞」(東京)で歌舞伎評担当。紀尾井ホール邦楽専門委員。

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紀尾井たっぷり名曲5清元 須磨の写絵

2022年9月10日(土)14時 紀尾井小ホール(5階)
 
お話  児玉竜一
浄瑠璃 清元志寿雄太夫、清元清美太夫、清元一太夫、清元瓢太夫
三味線 清元志寿造、清元美三郎
上調子 清元美十郎
囃子  望月太津之連中
 

チケットお取扱い:紀尾井ホールウェブチケット